月日が過ぎるのは早いもので、京都で生活を始めてもう十年。
京都はこじんまりとした街ですが、各所に有名な神社仏閣や名所が点在し、ほんと味わい深い街です。
最近、せっかく京都に住んでいるのならと、十年目にして今更感もありますが、、、まだ行けていない名所をカメラ片手に少しずつ巡っております。
今回訪れた名所は、以前から気になっていた陰陽師・安倍晴明を祀る神社、「晴明神社(せいめいじんじゃ)」です。
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晴明神社の成り立ち
晴明神社は、京都市上京区晴明町にある神社。 上京区晴明町って言われてもどこか分かりませんよね(笑)エリアで言うとちょうど西陣織り発祥の地区「西陣」と言われるエリアにあり、近くには京都御所があります。
創建 は1005年(寛弘4年)、安倍晴明の偉業を讃えた一条天皇の命により、そのみたまを鎮めるため、安倍晴明の屋敷跡である現在の場所に神社を創建したのが始まりだと言われています。古い資料によれば、創建当時の晴明神社の境内は今より大きく、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通まであり、かなり広大だったようです。しかし、応仁の乱の後、豊臣秀吉による都の造営や度重なる戦火によって、規模が縮小。古書、宝物なども散逸し、社殿も荒れたままの時代が続きました。
ただその後、氏子が中心となって整備・改修が行われ、1950年(昭和25年)には、堀川通に面するように境内地が拡張され現在の様子に至ったようです。
陰陽師・ 安倍晴明とは?
こちらは本殿前に鎮座する安倍晴明公像。 安倍晴明と言えば、平安時代 陰陽師として活躍した人物ですよね。私自身、映画や本の影響もあり、陰陽師=魔術や呪術師的なイメージ、少しオカルト寄りの香りを勝手に想像していましたが、調べてみると、天文や暦数、時刻など、自然観察に関わる学問に精通した科学的な側面も持ち合わせており、非常に興味深い。掘り下げていくと止まらなくなりそうなので、今回はこのくらいで。
ところでジーーーーっと、この像を見ていて思ったのですが、足の向き、、、おかしくないですか??画像右側の足の向きが常人では考えられない方向に向いているような。。。この像を作った作者の意図があったのでしょうか。
見どころ
晴明井(せいめいのいど)
さてさて足の事はさて置き、見どころです。こちらは安倍晴明が念力を使って、水を湧き出させたという伝説がある井戸です。 上部に 五芒星(ごぼうせい)が施されており、 水が注ぎ落ちる部分は、その年の恵方指し、毎年立春の日に方角が変えられるようです。井戸に続く地面には北斗七星。陰陽道で用いられる歩行、反閇(へんぱい)を表した石が埋められています。
この湧き水には、病気平癒、病気が完治して回復するという不思議なご利益があるようで、千利休もこの晴明井の涌き水を使ってお茶を点てていたのだとか。今のところ500mlまでお持ち帰りOKとの事でしたので、この湧き水でお茶を点て、自然哲学的思想に思いを馳せてみるのも良いかもしれませんね。
厄除桃
桃は、古来から中国や陰陽道において魔除け、厄除けの果物とされています。
この厄除桃、己の厄を撫で付ければ、厄を取り除いてくれる力があると言われています。それにしても桃のツルツル感、、、どれだけの厄がこの桃に撫で付けられたのか、そんな事を想像すると感慨深いですよね。
また、昔話「桃太郎」もこれに由来するものだとか。”桃から生まれた桃太郎の鬼退治” 意外と繋がっているんですね。
一の鳥居の五芒星(ごぼうせい)
堀川通に面した一の鳥居。こちらの額には金色に輝く五芒星があしらわれています。普通は神社名や祀っている神様の名前を掲げる事が多いようで、全国的に見ても珍しいと言われています。因みに一の鳥居を進むと二の鳥居があるのですが、こちらは晴明社と記されていました。※下記画像は二の鳥居。
旧・一條戻橋
安倍晴明と縁深く、逸話が多い一條戻橋。現在も晴明神社から100mほど南に下がると、平成7年に架け替えられた橋が現存しますが、架け替え前、実際に使用していた欄干の親柱を境内に移設して再現したものが、こちらの旧・一條戻橋です。
現在でも 「戻る」事を嫌がって、嫁入りや葬式の際は 一條戻橋 を渡らないのが習わしです。
因みに下は現在の一條戻橋。
式神石像
旧・一條戻橋の傍らには、式神、陰陽師が使う精霊の石像が置かれています。
実際には人の目には見えなかったようですが、奥さんが怖がって一條戻橋の下に閉じ込めていたと言い伝えられています。
最後に
「魔除け・厄除け」の パワースポットとしても名高い晴明神社。何かをリセットしたい時、訪れてみるのも良いかもしれないですね。最後は狛犬の画像です。
所在地
晴明神社
〒602-8222
京都市上京区晴明町806
TEL 075-441-6460 (9:00~18:00)